サイバーステップ 創業話:学生時代
さとう@ソウルです。
先日少し書きましたが創業したときからのことを何度かにわけて書いてみようかと思います。
サイバーステップに興味を持って頂いた方に古い時のころを知ってもらえたり、会社でも起こしてみっか、と思われている方の参考になったり、これから進学や就職またはその活動を控えている人、またはそういう人を子供に持っている、などなどどのような方にでも構わないので何らかの一助になれば幸いです。
できる限り脚色なしで事実をつらつらと書いてみるので、ひとつだけ読まれるにあたってお願いとしてあるのは、苦労話とだけは思わないで頂きたいこと。
苦労がなかったとは言いませんが、苦労は誰でもいつでもあって、過去に浸ったり慰めてもらいたいというわけでもなく、また、僕ら以上に苦労されている方も多数いると思います。
上にも書いたとおり、一人でも多くの人が、先々を明るく見通せるようになるために過去を調べてまとめたり、経験したことを書籍にしたりするんだと思います。
この場はそこまで重たいものではありませんが、その真似事くらいのことを目指してみたいと思います。
さてさて、長くなりましたがちょろちょろと思いだしながらいろいろ書いてみます。
■はじめに
・本内容はサイバーステップの活動に関係する個人や企業、団体などが当時の名称または仮称などで書かれます。個々の方や企業、団体との当時の関係やかかわった内容などを元に明記するか仮称のようにするか判断して記載しますが、もし掲
載後に指摘などを受けた場合は文面を事前・事後の告知なく変更することがあります。
・可能な限り正確な時期や当時の名称などを記載しますが間違いやずれがあることがあります。
などなど、いくらか不安材料がありますがご理解のほどよろしくお願い致します。
■創業前:学生時代
サイバーステップは、創業を2000年4月1日としていますが、実はその前身となる組織を1996年に立ち上げていました。サイバーステップコミュニケーションズという組織で唯一の活動となる製品の開発とその発表のみ行って活動を停止しました。
1996年というと自分たちは東京高専の学生でたしか4年生(19歳)でした。
サイバーステップコミュニケーションを立ち上げる前に全国高専のプログラミングコンテスト(プロコン)の自由部門に応募し、全国大会で最優秀賞となる文部大臣賞を受賞したものの企画をベースに新たに1から作りこみを行い製品としました。
大会に出たものは複数のPC上のウェブブラウザ間で同一の3D空間を共有し、チャットはもちろんですが簡単なシューティングゲームなどが行える要素を備えたコミュニケーションツールでした。作品名はたしか「ネットワークコミュニケーション支援システム 井戸端」。
いまでいうところのVRMLやセカンドライフなどのようなものだと思ってください。
もちろん、当時のPCは性能がいまのものと比べれば天と地ほどの差があり、3Dも当時の僕らが作ったのはいわゆる疑似3Dといわれる2D上のキャンバスの上に奥行き感を持たせた3Dの絵をCPUのパワーだけを使って描くというものでした。
そのため、見栄えは今風なものと比べれば格段に落ちますが、システム面に関しては3D空間内にハイパーテキスト型のリンクポイントを構築できるようにし、データ量もものすごく抑え、快適にユーザー同士がコミュニケーションに使えるものにしました。
HTML(Hyper Text Markup Language)やVRML(Virtual Realty Markup Language)のようにファイル名をCSML(Cyber Space Markup Language)と名付けてネットサーフィンをするような感覚で3D空間を共有し、行き来できたり、ちょっとしたプラグインを実装することで簡単なシューティングゲームを構築することなどをできるようにしていました。
プロコン出場のほとんどのメンバーはその前年に参加した全国高専ロボットコンテスト(ロボコン)のメンバーでして東京高専の同学年の中で情報工学科と電気工学科の学生が主でした。
ロボコンは結果的には関東大会ベスト4に留まり、1位、2位であれば全国大会に出場できたのですが劇的な敗北(という表現が適切かどうかはさておき)を経験し、翌年は本業(?)に近いプロコンに参戦しました。
ちなみにこのロボコンのときに作ったロボの名前は「ピタゴザウルス」。軽量化のため三角形を多用し、長い竿を2本備えて恐竜みたいな首を持っていたため、メンバーが名づけました。観客の子供からかわいいかわいいと好評だったのがうれしかった。
プロコン後に1から作り上げたウェブブラウザ上で動作し、遠隔地の人同士がコミュニケーションをとれるアプリケーションを開発し、販売のための活動を開始するに至りました。
この時の組織名をどのようなものにするか…当時いろいろと悩んだ結果、ドメインとしてもとれるものを、と考え、いろいろ案を出しました。
ネットは遠隔地への通信手段として使えるだけでなく、さまざまな端末から自分の環境にアクセスし、情報を活用し、さらには自分たちがアプリケーションを作ることで新しいネットの使い方を実現できるなど、ものすごく便利だなと感動していました。
ただ、一方でその情報の伝達がシンプルすぎておとなしすぎる、騒がしさが物足りない。また、当時の僕らの身の回りではあたりまえだったファミコン的な面白さがなく、あくまで便利さが際立っている、という印象が強くありました。
便利だけどつまらんな、と。
当時からそうでしたが、ネットの主な使い方は何らかのファイルをダウンロードするか、メールやファイルをアップロードするか。他人がアップロードしたものを自分がダウンロードし、またそれに手を加えてアップロードする。メールやブログもそうですが基本はあまりかわっていません。
ハードディスクの1MBあたりの単価や回線利用料が劇的に低くなったり、パソコンのCPU処理能力が格段に高くなったため、テキストやよくて画像どまりだったものが映像になったり、個人ですごいサイトが立ち上げやすくなったくらいです。
ちなみに95年前後のころは1MBのメインメモリの価格が1万円くらいで、40MBのハードディスクが7万円くらいしました。CPUも100MHzくらいで、いまと比べればざっと考えてもメインメモリが1GB1万円だとすると1000倍、ハードディスクに至っては400GBが1万円なら7000倍、CPUは2GHzなら20倍ですがデュアルコアなら40倍、くらいの単価下落です。
これが10年もたたないうちに行われたわけなのでそれぞれのハードメーカーの努力には頭が下がります。
でもね、ソフトウェアに関しては部分的な進歩を除いてアプリケーション全般としては大して進歩をしているようには思えないんです。
一番最初にネットを使ったころと、今で、音声とかが気軽に使えるようになったりメッセンジャーなどで気軽に連絡が取れるようになったのは非常に便利になりましたがそんなものは昔からUNIX上のチャットコマンドやっていました。
逆に言うと相当昔の時点で作れるソフトウェアはほぼ完成していて、今はそれらの技術を誰でも使いやすいように汎用的にしたり低コストで使えるようにすることが中心の時期になってしまっているように思えます。
今のネットやパソコンの利便性のほとんどはハードウェアのメーカーによってもたらされたもので、ソフトウェアの技術者からは努力が足らないのではないかと…
さてさて、組織名やドメインの話からえらく話がそれてしまったようになりましたが、まかりなりにも情報工学にふれ、ファミコンで育った自分としてはそのような状況は許し難いもので、ちょっくらネットをもっと騒がしいものにしたろか、と思ったわけです。ただ騒がしいのではなくて、楽しいから騒がしくなるような。
たとえばファミコンを前にしてワンコンとツーコンしかない8ビットのコンピュータなのに、プレイヤーはもちろん周りにいる観戦者をも巻き込んで盛り上がるような。
たとえば自分が持っていないドラクエを友達のうちで友達がプレイしているのを見てその世界に一時的でも入り込めてしまうような。
エンターテイメントにはそういったさまざまな可能性や実績があるわけで、そういうものを含めて今存在しない全く新しいものを作ったろうと考えたわけです。
結果から、組織の名前はネットを表現する要素と、動きを表す要素からの組み合わせで考えることにしました。
ネットを表現するものとしてはnetwork, net, cyberなどがありますが、動き、に関してはさてなににしようかと、、、
最初に思いついたのが単純に「歩く」という意味でcyberwalk.comが取得可能かどうかを調べました。
結果は取得済みだったのでNG。
次に、うぅ~ん、じゃぁもっと飛び跳ねている感じで「ステップ」で取ってみよう、と考えcyberstep.comで確認。
おぉ、とれるぢゃないですか。
当時は英単語ひとつだと.comドメインはほとんどとれませんでしたが、単語二つまではまだ取得できました。
いまは英単語が入っているだけで相当のドメインが取れなくなっているようなので、きちんと希望のドメインが取れてとてもよかったと思っています。
ちなみに cyberstep.co.jp ではない理由は、 .co.jp ドメインは日本では法人格でなければ持てないという理由からでした。
結果的には .com ドメインでよかったな、と思っています。
ここでやっと組織名が決定。
ここから学生のときではありますがグループで開発したソフトウェアを一本7万円でネット接続事業者(ISP)向けなどへの販売や宣伝を開始し、当時としては珍しい活動だったのか読売新聞の全国版にカラーで掲載され、ただ、その活動が学校に知られることになり停止を勧告され、卒業し、1ヶ月間個人でマレーシアとタイを冒険し、ヤマト運輸で引っ越しのバイトで金を貯め、その金を元手に名古屋に1年半出稼ぎに出て、創業資金500万円を貯めて2000年4月1日にめでたく仲間集めて創業しました。
卒業から本格的な創業までの2年間はいろいろな意味で非常に充実していた期間でした。
おそらくネクタイの結び方も名刺の渡し方も受発注の仕方もまともに知らなかった学生の状態で有頂天になるような成功を得られなかったのは結果的にはよかったことで、また、高専という高校入学から20歳までの5年間も当時としては極めて早いうちからUNIXやインターネットに接し、情報工学を学べたのも(成績は決して良い方ではありませんが…)よかったな、と思います。
世の中にない全く新しいものをつくったろう、という思いと、一度は挫折した自分たちが作ったものの事業化、に環境や体制、資金面などを一新して再度チャレンジすることになりました。
そんな日はエイプリールフールが似合うだろう(^^;と思い、4月1日は外しませんでした。
まぁもともと2000年4月1日に創業することを名古屋で働き始めたときあたりから考えていたのですが。
さてさて、
卒業後のマレーシアやタイも一人でクアラルンプール(マレーシアの首都でマレー半島のほぼ中心に位置する街)から北上してタイの首都バンコクまで一人でバックパッカーな生活しながら旅行したり、その後の名古屋で大学のネット管理や企業へのセミナー補助、大学のシステム開発に参加するなど貴重な経験をし、楽しい話もたくさんあるのですが、次回はやはり創業後の話書いてみたいな、と思います。
長文、ここまで読んで頂きありがとうございましたm(_ _)m
つづく(^^y
追伸
2007/08/27 23:19
スペルミスを修正 “cyberwark.com” -> “cyberwalk.com” merryさん、感謝(^^y
誤字を修正 “全身” -> “前身” (;_;
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