2007/8/28 火曜日

サイバーステップ 創業話:創業直後

Filed under: サイバーステップ創業話 — さとうるい @ 1:20:16

さとう@ ver 0.2 です。

打ち合わせの後、会社の近くの韓国料理屋にてしゃれにならない量の焼き肉(豚肉&鴨肉)とキムチや総菜をごちそうになり、腹いっぱいの状態でいます。
いつも韓国出張で食事をした後にひとつだけ必ず思うことがあります…
食べ過ぎた~
キムチを食べながらだったり、やっぱり本場だと格別おいしいのと、味付けが新鮮なのと、などなど、言い訳はたくさんあるのですが毎回思います(^^;
まぁ韓国の話はさておき(今回も仕事話ばっかりですので)、ありがたいコメント頂けてしまったりしたので調子にのって続けて書いてみます。
でも一回だけでは書ききれない自信があるので一つのブログ(これ)を何度かに分けて追加して完成させていきます。
そーゆー使い方が一般的なのかわからなないですがまぁいいだろうと。
なので書き出しを ver 0.2 にしました。これが ver 1.0 になったらこのブログは完成で次のブログに進みます。
明日も早朝の便で帰国なのではよ寝なければ(^^;

前ブログを未読の方はこちら↓から~
第一話 サイバーステップ 創業話:学生時代

<20070827>
■創業直後:卯月アビタシオン(00年4月~00年12月)
サイバーステップの創業の地は東京の調布市小島町にある当時すでに築20年以上の古びたマンションからのスタートでした。
マンションといっても4階建てでひとつの階で2部屋だけなので、誰にでも想像できそうな小さなマンションです。
建物の名前は卯月アビタシオン(うづきあびたしおん)とちょっとしゃれた名前で、調布駅から徒歩8分くらいで旧甲州街道と鶴川街道の交差点に位置し、サイバーステップにかかわりの深い電通大からもほど近い場所でした。
間取りは2DKの10坪33平米で家賃は7万7千円。
2DKとはいっても片方の部屋は変則3.5畳くらいでもう一方がこれまた長細い5.5畳ほど。
図にすると↓のようになります。
変則的な畳の部屋が二つ並んでおり、間を隔てていた戸は外して合わせて1部屋として使いました。

+———————–+
|      ベランダ       |
+————-+——–+
|   机   |        | 机|
|         |        |    |
|   机   |        |机|
|         | 畳  畳|   |
|   机   | の  の|机|
|         | 間  間|   |
+——+      +     +
|   風呂 |            |
+——+              |
| トイレ | ダイニング |
+——+ (フローリング) |
|冷蔵庫とか          |
|炊飯器とか          |
+—————+       +
|流しとかコンロ|玄関|
+—————+ ドア +

机はパイプの足の上にプラスチックの板を置いて組み立てる横幅が110cm、奥行きが50cmのものを図のようにそれぞれの壁に向けて3つずつ並べました。
この狭い部屋の中で当時参加してくれていたアルバイトを含めると10名くらいが勤務しており、その10名くらいが同時に働くことがありました。
そのため、ただでさえ広いと言えない机の上に大工センターで買ってきたベニヤ板を置き、シーツをかぶせてひとつの大きな机にし、奥行きを80cmくらいに幅を持たせるとともに、3つの机で4人が座れる形にしました。
なので一人当たりの横幅は110cmx3÷4=82.5cmとなります。これは普通の社会人が並んで座れば肘がぶつかってしまうくらいの狭さになります。
奥行きをベニヤ板で長くしたのも、当時は液晶ディスプレイは高額商品でとても買えるものではなかったため、当然ながら17インチほどのモニターを使用することになります。その前にキーボードを置くには奥行きが50cm程度では目の前がすぐにモニターになってしまい極めて目に悪い、それ以前に仕事に成り難い状況だったための苦肉の策になります。
イスもパソコンショップの一般に売っている1980円くらいの安物で揃え、ちょっと使っているとイスを固定しているネジがぽろぽろ落ちてきてしまうような安物を使っていました。
座ったまま少し背を伸ばしたりくつろごうとすると、後ろの席に座っている人に簡単に背中がぶつかってしまう、まさに現代のタコ部屋のような仕事場でした。
ブレーカーは20Aまでで建物が古すぎて拡張することはできず、ご飯を炊いている最中に電子レンジなどつけてしまい仕事中にブレーカーが落ちることも多々ありました。
ただ、ブレーカーが落ちるのはこの先3つ目くらいの仕事場まではよくありましたが(^^;
現在のサイバーステップのオフィスには、外部の人を案内するとたいてい驚かれるのですが、やたらと大きな机を多くの人が使っています。横幅が160cmのL字の机で一般の会社では部長級のものと言われているものにアルバイトだって座ってたりします。
これは創業当時に狭く汚い中で、しかも3個の机を4人で使うような、いつ思い出しても開発者や仕事をする人たちの環境としては悪かったな…というある種のトラウマからちょっとでもいい環境にしたいと思い買ったもので、おかげで広いオフィスが狭くなってしまったりしています(^^;
.....
.....
なんちゅーか古き良き苦労話のようになってきてしまった…
いかんですな、

さてさて、ひっそりと事務所開きを終え、最初の仕事に取り掛かることになりました。
この時点であらかじめ都合を合わせておいた浅原と大和田と創業しました。
当時、浅原は高専から編入で進学していた電通大の卒業の時期で、院に進み、院に所属しておりながら実際には会社にいる時間の方がダントツで多いような生活(?)を送っていました。
大和田はワーキングホリデーでオーストラリアに出ていたところ、ちょうど4月に日本に帰国することになっており合流。
他、高専から電通大に編入していたロボコン、プロコン仲間などを巻き込みまくり。
事務所も開き、パソコンなども秋葉原で揃え、さ~て仕事を始めるぞ!となったとき、わたくしが一番最初に始めた仕事は…なんだと思いますか…?

ひじょ~に地味なことなのですが、借金をすることから開始しました。
当時、名古屋で貯めたお金500万円は手元資金としてあったのですが、パソコン8台で100万円ちょい。敷金礼金で30万円とか。その他毎月の人件費や光熱費で100万円~、などなど。出るお金はあっという間です。
2000年のころは、ネットバブルの余韻というか、さなかだったのか、調布ではなかなかわからなかったですが、いろいろな政府による支援がありました。
その後、数千億円の焦げ付きを作ったと報道されている信用保証協会。自己資金と同額の借金までであれば連帯保証をしてくれるサービスを提供しており、早速申込ました。
ここでいきなり壁にぶつかります。
銀行で口座が作れない。
組織を法人化しておらず、個人事業として開始したのですが、個人事業ではいわゆる都銀はなかなか口座を作ってもらえず、「当行と取引されたことはありますか?」と窓口で聞かれて当然ながら「いえ、ありません。なので口座を開きたいのですが」と答えると不思議なことに「取引がないところとは口座を開くのが難しいのですが」などと答えられ、取引したいから口座作りたいのにどないせ~っちゅうんじゃ、と世の中の不思議を体験。
時間をかけてなんとか口座を作れたので、喜び勇んで信用保証協会に再び行くと、「都銀は(信用保証協会を使った)融資を嫌がるので信金で口座開いた方が信用保証で融資を受けられやすいですよ」と…
も~何も言わずに近場の信金で口座をあらためて作りました。
あらかじめ用意された融資の申込書に必要事項と業務内容、事業計画(収支)などを書き込んで審査を行ってもらう。
すでにいくらかのお金を使っていたので400万円になりましたが無事融資をしてくれました。
信用保証協会付きとはいえ、一次連帯はわたくし、二次連帯はたしか親、三次連帯が信用保証協会というものでリスクや親への負担はあったのですが、結果的に借金は翌年にベンチャーキャピタルが参加した後にすべて清算し、返済を行うことができました。
また、このとき同時に採用活動や、市役所や商工会などにいろいろ相談にいくなどをはじめました。
そこで大変大変お世話になった(サイバーステップお世話になったベスト10に確実にランクイン!)社労士の河上さんに出会うことになります。

それらの話はまた後日…(^^y
</20070827>

2007/8/27 月曜日

サイバーステップ 創業話:学生時代

Filed under: サイバーステップ創業話 — さとうるい @ 0:29:18

さとう@ソウルです。

先日少し書きましたが創業したときからのことを何度かにわけて書いてみようかと思います。
サイバーステップに興味を持って頂いた方に古い時のころを知ってもらえたり、会社でも起こしてみっか、と思われている方の参考になったり、これから進学や就職またはその活動を控えている人、またはそういう人を子供に持っている、などなどどのような方にでも構わないので何らかの一助になれば幸いです。

できる限り脚色なしで事実をつらつらと書いてみるので、ひとつだけ読まれるにあたってお願いとしてあるのは、苦労話とだけは思わないで頂きたいこと。
苦労がなかったとは言いませんが、苦労は誰でもいつでもあって、過去に浸ったり慰めてもらいたいというわけでもなく、また、僕ら以上に苦労されている方も多数いると思います。
上にも書いたとおり、一人でも多くの人が、先々を明るく見通せるようになるために過去を調べてまとめたり、経験したことを書籍にしたりするんだと思います。
この場はそこまで重たいものではありませんが、その真似事くらいのことを目指してみたいと思います。

さてさて、長くなりましたがちょろちょろと思いだしながらいろいろ書いてみます。

■はじめに
・本内容はサイバーステップの活動に関係する個人や企業、団体などが当時の名称または仮称などで書かれます。個々の方や企業、団体との当時の関係やかかわった内容などを元に明記するか仮称のようにするか判断して記載しますが、もし掲
載後に指摘などを受けた場合は文面を事前・事後の告知なく変更することがあります。
・可能な限り正確な時期や当時の名称などを記載しますが間違いやずれがあることがあります。

などなど、いくらか不安材料がありますがご理解のほどよろしくお願い致します。

■創業前:学生時代
サイバーステップは、創業を2000年4月1日としていますが、実はその前身となる組織を1996年に立ち上げていました。サイバーステップコミュニケーションズという組織で唯一の活動となる製品の開発とその発表のみ行って活動を停止しました。
1996年というと自分たちは東京高専の学生でたしか4年生(19歳)でした。
サイバーステップコミュニケーションを立ち上げる前に全国高専のプログラミングコンテスト(プロコン)の自由部門に応募し、全国大会で最優秀賞となる文部大臣賞を受賞したものの企画をベースに新たに1から作りこみを行い製品としました。
大会に出たものは複数のPC上のウェブブラウザ間で同一の3D空間を共有し、チャットはもちろんですが簡単なシューティングゲームなどが行える要素を備えたコミュニケーションツールでした。作品名はたしか「ネットワークコミュニケーション支援システム 井戸端」。
いまでいうところのVRMLやセカンドライフなどのようなものだと思ってください。
もちろん、当時のPCは性能がいまのものと比べれば天と地ほどの差があり、3Dも当時の僕らが作ったのはいわゆる疑似3Dといわれる2D上のキャンバスの上に奥行き感を持たせた3Dの絵をCPUのパワーだけを使って描くというものでした。
そのため、見栄えは今風なものと比べれば格段に落ちますが、システム面に関しては3D空間内にハイパーテキスト型のリンクポイントを構築できるようにし、データ量もものすごく抑え、快適にユーザー同士がコミュニケーションに使えるものにしました。
HTML(Hyper Text Markup Language)やVRML(Virtual Realty Markup Language)のようにファイル名をCSML(Cyber Space Markup Language)と名付けてネットサーフィンをするような感覚で3D空間を共有し、行き来できたり、ちょっとしたプラグインを実装することで簡単なシューティングゲームを構築することなどをできるようにしていました。

プロコン出場のほとんどのメンバーはその前年に参加した全国高専ロボットコンテスト(ロボコン)のメンバーでして東京高専の同学年の中で情報工学科と電気工学科の学生が主でした。
ロボコンは結果的には関東大会ベスト4に留まり、1位、2位であれば全国大会に出場できたのですが劇的な敗北(という表現が適切かどうかはさておき)を経験し、翌年は本業(?)に近いプロコンに参戦しました。
ちなみにこのロボコンのときに作ったロボの名前は「ピタゴザウルス」。軽量化のため三角形を多用し、長い竿を2本備えて恐竜みたいな首を持っていたため、メンバーが名づけました。観客の子供からかわいいかわいいと好評だったのがうれしかった。
プロコン後に1から作り上げたウェブブラウザ上で動作し、遠隔地の人同士がコミュニケーションをとれるアプリケーションを開発し、販売のための活動を開始するに至りました。

この時の組織名をどのようなものにするか…当時いろいろと悩んだ結果、ドメインとしてもとれるものを、と考え、いろいろ案を出しました。
ネットは遠隔地への通信手段として使えるだけでなく、さまざまな端末から自分の環境にアクセスし、情報を活用し、さらには自分たちがアプリケーションを作ることで新しいネットの使い方を実現できるなど、ものすごく便利だなと感動していました。
ただ、一方でその情報の伝達がシンプルすぎておとなしすぎる、騒がしさが物足りない。また、当時の僕らの身の回りではあたりまえだったファミコン的な面白さがなく、あくまで便利さが際立っている、という印象が強くありました。
便利だけどつまらんな、と。

当時からそうでしたが、ネットの主な使い方は何らかのファイルをダウンロードするか、メールやファイルをアップロードするか。他人がアップロードしたものを自分がダウンロードし、またそれに手を加えてアップロードする。メールやブログもそうですが基本はあまりかわっていません。
ハードディスクの1MBあたりの単価や回線利用料が劇的に低くなったり、パソコンのCPU処理能力が格段に高くなったため、テキストやよくて画像どまりだったものが映像になったり、個人ですごいサイトが立ち上げやすくなったくらいです。
ちなみに95年前後のころは1MBのメインメモリの価格が1万円くらいで、40MBのハードディスクが7万円くらいしました。CPUも100MHzくらいで、いまと比べればざっと考えてもメインメモリが1GB1万円だとすると1000倍、ハードディスクに至っては400GBが1万円なら7000倍、CPUは2GHzなら20倍ですがデュアルコアなら40倍、くらいの単価下落です。
これが10年もたたないうちに行われたわけなのでそれぞれのハードメーカーの努力には頭が下がります。
でもね、ソフトウェアに関しては部分的な進歩を除いてアプリケーション全般としては大して進歩をしているようには思えないんです。
一番最初にネットを使ったころと、今で、音声とかが気軽に使えるようになったりメッセンジャーなどで気軽に連絡が取れるようになったのは非常に便利になりましたがそんなものは昔からUNIX上のチャットコマンドやっていました。
逆に言うと相当昔の時点で作れるソフトウェアはほぼ完成していて、今はそれらの技術を誰でも使いやすいように汎用的にしたり低コストで使えるようにすることが中心の時期になってしまっているように思えます。
今のネットやパソコンの利便性のほとんどはハードウェアのメーカーによってもたらされたもので、ソフトウェアの技術者からは努力が足らないのではないかと…

さてさて、組織名やドメインの話からえらく話がそれてしまったようになりましたが、まかりなりにも情報工学にふれ、ファミコンで育った自分としてはそのような状況は許し難いもので、ちょっくらネットをもっと騒がしいものにしたろか、と思ったわけです。ただ騒がしいのではなくて、楽しいから騒がしくなるような。
たとえばファミコンを前にしてワンコンとツーコンしかない8ビットのコンピュータなのに、プレイヤーはもちろん周りにいる観戦者をも巻き込んで盛り上がるような。
たとえば自分が持っていないドラクエを友達のうちで友達がプレイしているのを見てその世界に一時的でも入り込めてしまうような。
エンターテイメントにはそういったさまざまな可能性や実績があるわけで、そういうものを含めて今存在しない全く新しいものを作ったろうと考えたわけです。
結果から、組織の名前はネットを表現する要素と、動きを表す要素からの組み合わせで考えることにしました。
ネットを表現するものとしてはnetwork, net, cyberなどがありますが、動き、に関してはさてなににしようかと、、、
最初に思いついたのが単純に「歩く」という意味でcyberwalk.comが取得可能かどうかを調べました。
結果は取得済みだったのでNG。
次に、うぅ~ん、じゃぁもっと飛び跳ねている感じで「ステップ」で取ってみよう、と考えcyberstep.comで確認。
おぉ、とれるぢゃないですか。
当時は英単語ひとつだと.comドメインはほとんどとれませんでしたが、単語二つまではまだ取得できました。
いまは英単語が入っているだけで相当のドメインが取れなくなっているようなので、きちんと希望のドメインが取れてとてもよかったと思っています。
ちなみに cyberstep.co.jp ではない理由は、 .co.jp ドメインは日本では法人格でなければ持てないという理由からでした。
結果的には .com ドメインでよかったな、と思っています。

ここでやっと組織名が決定。
ここから学生のときではありますがグループで開発したソフトウェアを一本7万円でネット接続事業者(ISP)向けなどへの販売や宣伝を開始し、当時としては珍しい活動だったのか読売新聞の全国版にカラーで掲載され、ただ、その活動が学校に知られることになり停止を勧告され、卒業し、1ヶ月間個人でマレーシアとタイを冒険し、ヤマト運輸で引っ越しのバイトで金を貯め、その金を元手に名古屋に1年半出稼ぎに出て、創業資金500万円を貯めて2000年4月1日にめでたく仲間集めて創業しました。

卒業から本格的な創業までの2年間はいろいろな意味で非常に充実していた期間でした。
おそらくネクタイの結び方も名刺の渡し方も受発注の仕方もまともに知らなかった学生の状態で有頂天になるような成功を得られなかったのは結果的にはよかったことで、また、高専という高校入学から20歳までの5年間も当時としては極めて早いうちからUNIXやインターネットに接し、情報工学を学べたのも(成績は決して良い方ではありませんが…)よかったな、と思います。

世の中にない全く新しいものをつくったろう、という思いと、一度は挫折した自分たちが作ったものの事業化、に環境や体制、資金面などを一新して再度チャレンジすることになりました。
そんな日はエイプリールフールが似合うだろう(^^;と思い、4月1日は外しませんでした。
まぁもともと2000年4月1日に創業することを名古屋で働き始めたときあたりから考えていたのですが。

さてさて、
卒業後のマレーシアやタイも一人でクアラルンプール(マレーシアの首都でマレー半島のほぼ中心に位置する街)から北上してタイの首都バンコクまで一人でバックパッカーな生活しながら旅行したり、その後の名古屋で大学のネット管理や企業へのセミナー補助、大学のシステム開発に参加するなど貴重な経験をし、楽しい話もたくさんあるのですが、次回はやはり創業後の話書いてみたいな、と思います。

長文、ここまで読んで頂きありがとうございましたm(_ _)m

つづく(^^y

追伸
2007/08/27 23:19
スペルミスを修正 “cyberwark.com” -> “cyberwalk.com” merryさん、感謝(^^y
誤字を修正 “全身” -> “前身” (;_;

2007/8/24 金曜日

株主総会

Filed under: 近況 — さとうるい @ 14:48:12

さとうです。

本日午前(8月24日(金))、幡ヶ谷の区民会館を借りて公開後の年度で初の株主総会を行いました。
事前にリハーサルを何度も重ね、質疑応答やいざという時の対応など、様々なことをたくさんの方に教えて頂き、さらには事前に数社の総会を参考として見に行くなど、会社にとっての一大行事を行うにあたり準備進めていました。
私よりもまわりの方が冷や冷やしていたかもしれないですが無事行うことができました。
会社は年度で締め、うちの場合は5月末決算ですが、7月に7期の決算を締め、8月に株主総会を行い、7期の活動にあたってのひととおりの業務が整理された形になりました。
現在の8期はもちろんですがこれから2010年にあたる10期等に向けて様々なことにあたっていこうかとあらためて思いました。
しかし、人前で話しをするのはまったく慣れていないため、めちゃくちゃ緊張しました…というか心臓が高鳴りして声が裏返るようないわゆる上がった状態になるんです。
リハーサルでも上がっていたので本番ではどうなるんだろう、と思ってしまうほどでしたが、本番ではそれまでのなかで一番上手に立ち回りができたような気がしました(^^;

一大イベントも無事終えることができたため、あらためて今期の活動に注力するわけなのですが、一息(?)つけた状態でもあるので、ちょっと時間があるときを見計らって昔のことでも思い出してここに書いてみようかな、などと思っています。
2000年4月1日創業なので7年半ほどがたちます。
日曜日から再び韓国出張なのですが、何度かに分けて書いてみようかな、などなど。

ではでは、

2007/8/17 金曜日

ブログいろいろ

Filed under: 近況 — さとうるい @ 19:53:12

さとうです。

さまざまなコメントありがとうございます。
前回のブログに頂いたコメントが現在ちょうど300件になっており、ものすごくびっくり。
多ければいいというわけではないのですがありがたい限りです。
全て目を通させて頂きました。
少し間隔があいてしまったため、またまな何を書こうかと思案中…
せっかくなので、社内で立ち上げてくれた本ブログのレイアウトをちょっといじってみました。
唐突ですが簡単な自己紹介をアップ。 ⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒
今後とも本ブログよろしくお願いします。

ではでは、
C21、ゲットアンプドRをお楽しみください。

2007/8/7 火曜日

GR対応について(2)

Filed under: ありがとうございます。 — さとうるい @ 23:59:13

さとうです。

ブログをご覧頂いています方々、ありがとうございます。
C21(またはC21のGRシリーズ)のみに話しが限定されないように近況、考えなどもアップしていたのですが、頂いているコメントがこれらに集中しておりますので、この点について本日は短くですが書かせて頂きます。

既に公式サイトで発表しておりますとおり、大型カスタマイズロボから小型カスタマイズロボの調整等を現在行っております。
8月中を目処にアップデートを検討しておりますが、調整に関して肯定的な意見、反対の意見等多数頂いており、なぜそもそも調整を行わざるえない状況になったのか、どのような調整になるのか、等々ご不満、ご不安に思われることはあるかと思います。
特にGRの強さは際立ったものとなっており、購入して頂いた方だけでなく購入されていない方も多々ご意見があると思います。
現在進めている調整は小型カスタマイズロボは機動性が高く、中型はトータルのバランスがよく、大型は今と同様の火力重視という可能な限り今まで以上にC21を今後楽しんで頂けるものになるよう鋭意努力しております。
ご理解の程、お願い致します。

2007/8/2 木曜日

C21

Filed under: ありがとうございます。 — さとうるい @ 13:15:06

さとうです。

更新に時間が空いてしまいました…
コメント、ありがとうございます。
いままでの特定のことに関するものよりも多種多様なものに関していただいているため、なかなかどのようにブログを書くのがよいか考えていました。
さすがに個々に対して答えていくのは困難なため、過去にもいくつかコメントに書かれている課金者、無課金者という言葉に関する私なりの個人的な考えを書かせていただきます。
いきなりになってしまいますが、個人的にはこういう言葉が多用される事自体、あまり好きではなく、本来は利用者という認識で運営もしくは開発を行っている会社としては接したいと思っています。
もちろんサービスの継続や拡張、発展の原資は売上になりますので、ゲームのことを知り、登録し、ダウンロード、インストール、ゲーム起動、ログイン、操作方法の習得からゲームを楽しんで頂けるようになって、なおかつゲーム内のアイテムを買ってみよう、と思っていただけるようにしていくことが大切ですし、実際にそのように様々な点で努力や右往左往しています。
そのためにもC21であれば魅力的なロボや武器を、またはプラネット、ゲットアンプドRであればアクセサリやスタイルを、ただし幅広く楽しめるように新しいマップやモード、機能などを拡張しています。
行き過ぎた設定やリリース前の確認で見落とし、または想定外のことが起きてしまうなどユーザーの方を振り回してしまうことがあり申し訳なく思いますが、C21、ゲットアンプドR、いずれも販売物を買うと絵や数値だけが違う、というわけではなく、大きさや演出、技や効果が新しいものとして追加され、想定していなかった利用方法などが発見されることも少なからずあります。
これは新しい販売物を売り出す際に、かなりの割合で新しい機能を組み込むことで今までにできなかったことをできるようにしていることが関係します。
すこし話しがそれてしまいましたが、サービスを継続、発展させていき、一人でも多くの人にネットワークで人同士が交流しながら楽しめるゲームを提供して、より多くの人が楽しい!と思えるような場を実現したいと考えています。
課金して頂けるようなサービスにしていくのは極めて大切なことですが、課金をしていない、またはできないからといってその方に対する極めて大きなペナルティなど考えておらず、むしろバルチャー以降のアップデートは特にそうですが、課金利用頂いている方には利用頂いているに値するサービスやロボの提供を目指し、課金を利用されていない利用者の方にも可能な範囲でサービスの向上に努めるようにしています。
GRのバランスが課金しているかしていないかという線引きを強くしてしまったこともあるかと思いますが、全体的なアップデートはあくまでも利用者の方が楽しんで頂けるものを目指しており、それが結果的に課金して頂いている方のメリットや楽しさのアップにつながるものにしたいと考えています。

また、開発会社の側面としては、過去(創業当時)から様々な形で開発したゲームのβテスト(いわゆるクローズドβ、オープンβ等)を日本及び海外各国で行っており、これは逆に(一般的には)会社にとってもテスターの方にとっても無料でテストを行う(または参加する)ものになります。
この際にテスターの方から頂いた意見やサーバーの安定稼動のための同時接続テストなどのおかげでオンラインゲームは開発が行えている理由でもあります。
これらを考えるとオンラインゲームは開発やサービスの部分はもちろんですがユーザーの方に支えられて(または協力して頂いて)ものが作られていくところが世の中の製品やサービスと比べるとだいぶ大きな比率を占めると思います。
会社としていろいろな側面を持っているので、なかなか的を得た回答や説明が難しいところもありますが、ゲームを楽しんで頂けていることは本当にありがたいことだと思います。
さらに多くの方に楽しんで頂けるよう利用者がもっと満足するような、または良い意味で意表をつかれるようなサービスや開発を続けていきたいです。

ではでは、
相変わらずとりとめなくなってしまいましたが、C21ゲットアンプドRをお楽しみください。

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