サイバーステップ 創業話:創業直後
さとう@ ver 0.2 です。
打ち合わせの後、会社の近くの韓国料理屋にてしゃれにならない量の焼き肉(豚肉&鴨肉)とキムチや総菜をごちそうになり、腹いっぱいの状態でいます。
いつも韓国出張で食事をした後にひとつだけ必ず思うことがあります…
食べ過ぎた~
キムチを食べながらだったり、やっぱり本場だと格別おいしいのと、味付けが新鮮なのと、などなど、言い訳はたくさんあるのですが毎回思います(^^;
まぁ韓国の話はさておき(今回も仕事話ばっかりですので)、ありがたいコメント頂けてしまったりしたので調子にのって続けて書いてみます。
でも一回だけでは書ききれない自信があるので一つのブログ(これ)を何度かに分けて追加して完成させていきます。
そーゆー使い方が一般的なのかわからなないですがまぁいいだろうと。
なので書き出しを ver 0.2 にしました。これが ver 1.0 になったらこのブログは完成で次のブログに進みます。
明日も早朝の便で帰国なのではよ寝なければ(^^;
前ブログを未読の方はこちら↓から~
第一話 サイバーステップ 創業話:学生時代
<20070827>
■創業直後:卯月アビタシオン(00年4月~00年12月)
サイバーステップの創業の地は東京の調布市小島町にある当時すでに築20年以上の古びたマンションからのスタートでした。
マンションといっても4階建てでひとつの階で2部屋だけなので、誰にでも想像できそうな小さなマンションです。
建物の名前は卯月アビタシオン(うづきあびたしおん)とちょっとしゃれた名前で、調布駅から徒歩8分くらいで旧甲州街道と鶴川街道の交差点に位置し、サイバーステップにかかわりの深い電通大からもほど近い場所でした。
間取りは2DKの10坪33平米で家賃は7万7千円。
2DKとはいっても片方の部屋は変則3.5畳くらいでもう一方がこれまた長細い5.5畳ほど。
図にすると↓のようになります。
変則的な畳の部屋が二つ並んでおり、間を隔てていた戸は外して合わせて1部屋として使いました。
+———————–+
| ベランダ |
+————-+——–+
| 机 | | 机|
| | | |
| 机 | |机|
| | 畳 畳| |
| 机 | の の|机|
| | 間 間| |
+——+ + +
| 風呂 | |
+——+ |
| トイレ | ダイニング |
+——+ (フローリング) |
|冷蔵庫とか |
|炊飯器とか |
+—————+ +
|流しとかコンロ|玄関|
+—————+ ドア +
机はパイプの足の上にプラスチックの板を置いて組み立てる横幅が110cm、奥行きが50cmのものを図のようにそれぞれの壁に向けて3つずつ並べました。
この狭い部屋の中で当時参加してくれていたアルバイトを含めると10名くらいが勤務しており、その10名くらいが同時に働くことがありました。
そのため、ただでさえ広いと言えない机の上に大工センターで買ってきたベニヤ板を置き、シーツをかぶせてひとつの大きな机にし、奥行きを80cmくらいに幅を持たせるとともに、3つの机で4人が座れる形にしました。
なので一人当たりの横幅は110cmx3÷4=82.5cmとなります。これは普通の社会人が並んで座れば肘がぶつかってしまうくらいの狭さになります。
奥行きをベニヤ板で長くしたのも、当時は液晶ディスプレイは高額商品でとても買えるものではなかったため、当然ながら17インチほどのモニターを使用することになります。その前にキーボードを置くには奥行きが50cm程度では目の前がすぐにモニターになってしまい極めて目に悪い、それ以前に仕事に成り難い状況だったための苦肉の策になります。
イスもパソコンショップの一般に売っている1980円くらいの安物で揃え、ちょっと使っているとイスを固定しているネジがぽろぽろ落ちてきてしまうような安物を使っていました。
座ったまま少し背を伸ばしたりくつろごうとすると、後ろの席に座っている人に簡単に背中がぶつかってしまう、まさに現代のタコ部屋のような仕事場でした。
ブレーカーは20Aまでで建物が古すぎて拡張することはできず、ご飯を炊いている最中に電子レンジなどつけてしまい仕事中にブレーカーが落ちることも多々ありました。
ただ、ブレーカーが落ちるのはこの先3つ目くらいの仕事場まではよくありましたが(^^;
現在のサイバーステップのオフィスには、外部の人を案内するとたいてい驚かれるのですが、やたらと大きな机を多くの人が使っています。横幅が160cmのL字の机で一般の会社では部長級のものと言われているものにアルバイトだって座ってたりします。
これは創業当時に狭く汚い中で、しかも3個の机を4人で使うような、いつ思い出しても開発者や仕事をする人たちの環境としては悪かったな…というある種のトラウマからちょっとでもいい環境にしたいと思い買ったもので、おかげで広いオフィスが狭くなってしまったりしています(^^;
.....
.....
なんちゅーか古き良き苦労話のようになってきてしまった…
いかんですな、
さてさて、ひっそりと事務所開きを終え、最初の仕事に取り掛かることになりました。
この時点であらかじめ都合を合わせておいた浅原と大和田と創業しました。
当時、浅原は高専から編入で進学していた電通大の卒業の時期で、院に進み、院に所属しておりながら実際には会社にいる時間の方がダントツで多いような生活(?)を送っていました。
大和田はワーキングホリデーでオーストラリアに出ていたところ、ちょうど4月に日本に帰国することになっており合流。
他、高専から電通大に編入していたロボコン、プロコン仲間などを巻き込みまくり。
事務所も開き、パソコンなども秋葉原で揃え、さ~て仕事を始めるぞ!となったとき、わたくしが一番最初に始めた仕事は…なんだと思いますか…?
ひじょ~に地味なことなのですが、借金をすることから開始しました。
当時、名古屋で貯めたお金500万円は手元資金としてあったのですが、パソコン8台で100万円ちょい。敷金礼金で30万円とか。その他毎月の人件費や光熱費で100万円~、などなど。出るお金はあっという間です。
2000年のころは、ネットバブルの余韻というか、さなかだったのか、調布ではなかなかわからなかったですが、いろいろな政府による支援がありました。
その後、数千億円の焦げ付きを作ったと報道されている信用保証協会。自己資金と同額の借金までであれば連帯保証をしてくれるサービスを提供しており、早速申込ました。
ここでいきなり壁にぶつかります。
銀行で口座が作れない。
組織を法人化しておらず、個人事業として開始したのですが、個人事業ではいわゆる都銀はなかなか口座を作ってもらえず、「当行と取引されたことはありますか?」と窓口で聞かれて当然ながら「いえ、ありません。なので口座を開きたいのですが」と答えると不思議なことに「取引がないところとは口座を開くのが難しいのですが」などと答えられ、取引したいから口座作りたいのにどないせ~っちゅうんじゃ、と世の中の不思議を体験。
時間をかけてなんとか口座を作れたので、喜び勇んで信用保証協会に再び行くと、「都銀は(信用保証協会を使った)融資を嫌がるので信金で口座開いた方が信用保証で融資を受けられやすいですよ」と…
も~何も言わずに近場の信金で口座をあらためて作りました。
あらかじめ用意された融資の申込書に必要事項と業務内容、事業計画(収支)などを書き込んで審査を行ってもらう。
すでにいくらかのお金を使っていたので400万円になりましたが無事融資をしてくれました。
信用保証協会付きとはいえ、一次連帯はわたくし、二次連帯はたしか親、三次連帯が信用保証協会というものでリスクや親への負担はあったのですが、結果的に借金は翌年にベンチャーキャピタルが参加した後にすべて清算し、返済を行うことができました。
また、このとき同時に採用活動や、市役所や商工会などにいろいろ相談にいくなどをはじめました。
そこで大変大変お世話になった(サイバーステップお世話になったベスト10に確実にランクイン!)社労士の河上さんに出会うことになります。
それらの話はまた後日…(^^y
</20070827>
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