創業話:創業直後(後編)
コメントありがとうございます。
C21のバランスに関しては賛否両論あるかと思いますが元のカスタマイズによる大型ロボの個性や強みをそのままに、SサイズやMサイズの小型ロボに機動力という個性を際立たせ、コズミック・ルネッサンスの多様性をより豊かにできたのではないか!と考えております(賛否両論あると思いますが…m(_ _)m)。
さてさて、
創業話なのですが、なかなか話しは尽きないのでズバズバっと書き進めていきます。
さすがに前回のブログを読み直すと縦にものすごく長くなっていたため、新しい記事に変更しました。
前ブログを未読の方はこちら↓から~
第一話 サイバーステップ 創業話:学生時代
第二話 サイバーステップ 創業話:創業直後
<20070901>
■創業直後:商売開始
お金も無事に借りられ、当面の資金繰りには目処を付けたのですがそれでもお金はサクサクなくなっていくものなので、さてどうしようかと悩みました。
当時、特に都内の会社に付き合いがあったわけでもなく、つてもなく金もなく実績もない状況だったのでない知恵絞って商売を始めることにしました。
自社物の開発はやるぞ!としつつ、お金を稼ぐ仕組みとしていわゆる今でいうところの地域ポータルサイトの立ち上げを行いました。
2000年当時、たくさんのホームページ製作業や個性的なサイトなどが各所で立ち上がっていましたが、調布を含む多摩地区はそれほど進んでいるとは言いがたく、また今ほどネットも普及していなかったのでそれほど必要にも思われていなかったようにも思えます。
そこで、ちーと自分の生まれ育った(生まれは香川だ…)この土地を自分達で盛り上げてみよか!しかもそれでお金稼いでみよか!と思い立ち、cyberstep.com に続くドメインの取得を行いました。
それが何かというと…、.com -> ドットcom -> ドット・コム -> … にちなんで
一個目が「santama.com」
二個目が「sumaino.com」
三個目が「tokyo21.com」
としました。
一個目はその名のとおり、三多摩地方の地域情報サイト、
二個目は当時お金になりそうだった不動産物件に関する情報サイト、
三個目は多摩だけだと仕事少なそうなので23区向けの情報サイト、
三多摩どっと込む、住まいのどっと込む、トーキョー21どっと込む、ですね。
我ながら自分らしいネーミングだな~と関心したものです(^^;これらのドメインに年間10万円で契約した商店や不動産会社の情報をサブドメイン xxx.santama.com のxxxのところに固有の名前をつけて掲載する商売をはじめました。
これで多摩地区もハイテクに進むぞ~と、1000件契約すれば1億円だ~と、淡い考えをもちながら。たーくさん営業しました。
コピー機なんてなかったので商工会の印刷機を使わせてもらい白黒A4のチラシを千枚くらい刷って調布市内の各所の商店街や府中、東府中駅を降りた先の店舗など、何百枚も配ったりタウンページで電話番号調べて電話して訪問したり。
行った先も商店街や町の不動産屋はもちろんですが、パチンコ屋からゲームセンター、飲食店や漫画喫茶など様々なお店に飛び込み営業していました。
結果…
多摩地方のポータルサイトを目指したsantama.comは0件、
不動産物件のポータル目指したsumaino.comはたしか7件、
23区向けのtokyo21.netは1件、いずれも継続が難しくなり、しばらくしてから当初頂いたお金を返してサイトを閉じることになりました。
ちなみにtokyo21.netの1件は、市場調査会社を経営している私の叔父が見積書や納品書、請求書などの受発注のイロハと開業祝いということでサイバーステップ初の案件として発注してくれたものでした。
ネクタイの結び方や名刺の渡し方などは覚えても、肝心のお金のやり取りに必要な知識に関して実際にはなかったので、これは売上以上にうれしかったものです。
叔父が作った原稿を私のつたないHTML作成知識で作ったものを納品し、初の売上が立ちました。
しかも、なんだかんだでその後ネットでの検索が流行り、叔父の会社に実際にネット経由での案件の依頼が少なからず、というか結構な量でくるようになったとか。その後何で食いつないだかといいますと、上記の商売で培った(というと大げさですが)サイト構築の経験から、いわゆる受託案件としてのサイト一括構築などを行っていきました。
1年くらいはやっていましたが、当時、サイト構築などの受託は恐ろしいもので、特定の案件がネットなどで公開されると、それに対して真っ当な中堅の企業は2~3,000万円くらいで見積もりを出していました。
それに対してぽっと出な私らなど、作るだけなら2~300万円で実際にはできるものなので、それでいくつかの案件を獲得していきました。
しかし、しばらくすると、別に組織ではなくて個人でだって作れるものなので個人が50~100万円で受けるようになり、仕事が取れなくなってきました。
これは異常なことだと…恐らく自分達の見積もりも真っ当な中堅大手の企業にはいい迷惑だと思いましたが、個人が最後は案件として獲得するようになり、これは続けられないな…と感じました。
また、自分達で作りたいもの、作ってみたいもの、やってみたいことなども多々あるなか、受託を続けていくと本来本業にしたい自社開発にぶれがでてしまう事が少なからずありました。
受託を続けるか、受託だけの会社にするか、自社開発に専念するか、いろいろと選択肢はあったのですが、ある取引先から一方的に納品を蹴られて200万円の支払いを受けられない事態が発生し、ふざけるな、と思うのと同時に自分達のやりたいことを自分達がやりたいようにできる会社にしないといかん、そうじゃないと一緒にやっている人や世話になった人もハッピーになれん、というような思いから、サクッと受託から足を洗う方向に改めました。
新規の案件は受けないようにし、今の案件を閉じていく、その間、ちゃくちゃくとお金(現預金)が減っていく限られた時間の中でベンチャーキャピタルにあたり自社開発、活動のための資金を調達する。
結果的には2001年の8月に株式会社化し(2000年7月には有限会社化を行っていた)、ITファームという稀有なベンチャーキャピタルから6000万円の出資が決まり、自社開発に専念していくことになりました。
ちなみにこの出資が決まって株式会社化する直前の現預金残高は自分個人の貯金とあわせて30万円くらいしかなく、来月の支払いでアウト、というひじょーに楽しいタイミングでした。ちなみに、そのキャピタル周りをしていたとき、ノートパソコンとPHS、それと2,3枚の説明資料を持って回っていたのですが、毎回見せていたデモプログラムは以下のゲームでした。
ネットを探してみたらここに落ちていたので拝借。お互いが剣で切りあっているネットゲームのプロトタイプ。
PHSで会社にダイアルアップで接続し、社内の開発者に予め話しをしておいてネット対戦のデモをそこかしこで行っていました。
サイバーステップの代表作であるゲットアンプドの前に開発した試作にあたるわけですが、ある事情で開発が続けられなくなり、開発言語なども含め一から開発をしたのが初代ゲットアンプドとなります。
ちなみに、この頃まではクライアント側はC,C++を使い、サーバー側にはJava、通信にはCORBA、という恐らくすごく摩訶不思議な組み合わせを使っており、そりゃ非効率だ、となって、クライアント側もJava,サーバー側もJava、なのでサーバーもクライアントもマルチプラットフォームな開発にシフトしていきました。
あぁ…
前回、複線で引いた河上さんの話しがない…
調布の商工会で紹介して頂いた社労士(社会保険労務士)の方なのですが、雇用に当たっての手続きや、当時これも政府による雇用創出のための制度としてあった雇用能力開発機構による新規雇用に対する助成制度(雇用助成)等の手続きから申請までをほぼ全てにわたってもれなく行ってくれました。
当時、これもベタな話しになるのですが、新規雇用にあたって、その被雇用者の年収の二分の1までを最大1年間6人まで補助する、という助成制度で、サイバーステップでもこれを活用しました。
当時は毎月20万円を各自に払うのがやっとで、しかも人員の半分は受託ではなく自社開発にあたっていました。
先に書いたとおり、受託での売上もそれなりにあったのですがどうしてもぶれ、活動にあたって資金面はいつでも不安定な状況が続きました。
そのときに最大6名分もの給与の半分が、確かきちんと手続きすることにより半年おきに戻ってきて、ものすごくありがたい足しになりました。
これにも後日談があるのですが、どうしても便利な制度が出るとそれを悪用して稼ぐ人たちが出てきて、具体的には既に雇っていた人を形式的にあらためて再雇用した形にして雇用助成の対象にしていたり、しかもその事実を働いている人は何も知らなかったとか、一つの会社を6人ずつの会社に分けて全員を支給の対象にしていたとか…
役所のチェックが甘いことなどもあるのだと思いますが、結果的には徐々に助成制度が制限されてきて、最終的には新規雇用者の半年分の給与の三分の一だけを支払うなどにかわっていったそうです。
当初の年間の二分の一に対して、六分の一と落ちた上に申請がやたら煩雑になってしまったとか。
サイバーステップは本当にお金もつても実績もない会社だったので、立ち上げに当たっては本当に苦労しました。
お金が絡むとそれまで親しかった人も鬼のような形相になることがあったり、弁護士を立てて会社間でやりあわないといけなくなったり、お金が支払われなくてつぶれそうになったり。
その根幹はお金だけとはいいませんが、多分にお金が関係していて、お金に振り回されることが非常に多かったのですが、本来論としてはお金に振り回されるのではなくて、やるべきこととやりたいことをやっていき、その結果としてお金を得て、さらにやれることを広げていきたいなと、未だにですがつくづく思います。
2~300万円のことでも会社はつぶれそうになったり、その支払いや請求の最終的な決定権が自分達からは遠く、より大きな企業や発注側にあることなどは、本来自分達が作りたいものや実現したいことを現実のものにしていくための場としては理想よりも遠く、それでもよりよい環境を作っていくために自社開発に強みを持てるようにしたり、自社運営を立ち上げていったり、新規事業やR&Dに着手したり、
やりたいことややれるようにしないといけないことはものすごくたくさんありすぎるほどあるのですが、それでもそのうちの一つずつを実現していきたい、実現していけるようにしたい、などと絶えることなく思ったりしています。
サイバーステップはいわゆる家族主義といわれるような会社には程遠いですが、創業のときから(もしくはそれ以前から)同じ方向に進む気持ちを持っている人を一人でも多く集めて今まで来たと思っています。
ある人は何でこーゆーもの(ゲームやシステム)がないのか、という想いがあったり、表現とかで試してみたいことがあったり、私なんかは世の中を今よりもうちょっと楽しくしたろと思ったり、一見すると違うように見えるものもまとまってみるときちんと一つの方向性に向かっていたりします。
外部の環境に振り回されることなく、むしろ自分達の活動が世の中に影響を与えるくらいになれる場が少なくとも日本にも必要だと思っているのと、その場を作って日本や先進国に限定せず地球上を楽しくしたろ、というようなことができる環境や活動が本当に重要になってくると思ってます。
しかもそれがただの議論の対象ではなくて、行動や成果を伴った有言実行の内容としてやっていかなあかんなと。
上場はその中での世界戦にエントリーする一つの成果かなと。
多摩の地区予選や都内予選で右往左往していたところからやっとここまで来たかという感じもありますが、これからがやっとスタートなんだな、という思いもあり、まぁがんばって実現していくだけ。
</20070901>
修正
第二羽⇒第二話:ままま~さん感謝(^^;
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